Story: 02

「よし、もう少し頑張ってみよう」っていう判断をして、そのときから日本語がものすごく上達した

シオン

19歳(2020年インタビュー時)

イギリス生まれ。現地校に通い、小学校1年生から高校2年生まで補習授業校に通う。現在は東京大学で学ぶ。

イギリスで生まれ育つ ― 母と妹とは日本語で話していました。

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生まれたのも育ったのもイギリスですか。

はい。イギリスで16年間育ちました。

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小さい時、日本語はどんなふうに使っていたんですか。

妹がいるんですけど、僕と妹が学校に行くまでは英語と日本語を両方同じレベルで教えていこうって母が決めてくれて、父とは英語でしたが、母と妹とは日本語で話していました。言語が2つあると習うスピードが少し遅かったんですが、一応どっちとも大体同じレベルで話すことができました。学校に入ったら、やっぱり少し英語のほうが日本語より上達するのが速かったんですが。

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ずっと現地校だったんですよね。

はい。現地校が月から金で、補習校は毎週土曜日でした。補習校は朝3時間半ぐらいでしたね。日本で使う教科書と全く同じ教科書で、高1まで11年間通ってました。最初、チビの頃の僕が母に「補習校に行きな」って言われたとき、めっちゃ嫌で、もうめちゃくちゃ泣いたっていう、覚えがあるんですけど(笑)。「ママが教えてくれるので十分じゃないか」って、ずっと言ってました。

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何がそんな嫌だったのかな。

いや、面倒くさかっただけだと思います。

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最初に補習校に入ったときのこと、覚えてる?

一応入る前に、母がベネッセの本を日本に住んでいる祖父母に送ってもらって、やってました。なんだっけ、なんか、コラショっていうやつをやってました。小1で補習校に入る前に、その教科書を使って小2のレベルまで日本語習っといてから入ったので、結構ラクでした。入ったときは平仮名も書けないクラスメートもいたけど、僕は確か小2の漢字まではできてて。最初から少しアドバンテージがあって、その理由で成績が良かったと思います。でも、補習校の友達と話すのは英語なんですよね。

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ホームステイの受入れ ― ホームステイの人たちがいなかったら、日本に絶対これほど興味が深くならなかった。

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幸福にも、僕の母の仕事はイギリスの学校に通いたいという日本からの留学生をイギリスの学校に送る仕事で、休み中は留学生が僕の家に来てホームステイしていました。だから、休みはずっと日本人が家に10人ぐらいいて。

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そんなにたくさん?

はい。僕が子どもだった頃は年上の奴もたくさんいたんですけど、今は全員年下ですね。で、その人たちとは全員日本語だったので、休み中はずっと日本語でした。なんかやっぱり話し相手も完璧日本人なので、日本のネタとか、そういう日本の文化を結構よく知ることができて、感謝ですね。

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日本のネタとか文化って、どんなことですか。

なんか日本の面白いこととかをたくさん見せてくれました。ゲームもたくさんしてましたね。あと、話し方とかも、補習校は先生に対しては敬語だけですけど、ホームステイの友達とは普通の日本語だし。ホームステイに来る日本人は、もう日本全国から、関東出身の人もあれば、関西出身もたくさんいたし、長崎が1人いて、北海道が1人いて、違う場所から来てた人がたくさんいて。それでなんか、もっとカジュアルな話し方とか方言に慣れました。だから、今も関西弁の友だちの話してることが分かると思います。あの人たちがいなかったら、日本に絶対これほど興味が深くならなかった。

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補習校 ― 補習校の友達は独特なつながりがあった。

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補習校の成績はずっと良かったんですか。

はい。でも、成績が一番良かったっていうことに慣れていた僕が、中学に入った頃、同級生に追いつかれて、びっくりしました。でも、正直なんかやる気があまり出なかったんですよね。たぶん僕が呑気な人間だからだと思うんですけど。

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そうなんですか。

特に、小5と小6が同じ先生だったんですけど、めちゃくちゃ優しい先生で。その代わり、やっぱり僕は遊んでるだけでした。あんまり勉強しませんでしたね。宿題も一度もしなかった記憶もあります。宿題をやらなくても、テストの成績が高かったので、それで、一応毎年進学することができてました。毎週、たしか20問ぐらいの漢字テストがあったんですけど、補習校に行く途中、車の中で出てきた漢字をパラッと暗記しておいて、テストで点数をもらって。で、その漢字を全て忘れてしまうっていう。その年、習った漢字はあまり覚えてませんでした。

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へー。どうしてあまり勉強しなかったの?

現地校のほうが僕の未来を決めることをよく分かっていたんですけど、それと比べて補習校は悪い成績とか取っても、結局はそれほど何も変わらないっていうイメージで。なんか、どうでもいいやっていう、そういう考えでした。

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なるほどね。補習校を辞めたいとか、そういう気持ちはあった?

ありませんでしたね。なんか、一応、日本語も話せる機会だし、友達もいたし。補習校が現地校の勉強の邪魔になるほどではなかったので、多分、その理由で続けてました。特に、勉強してなかった頃は毎週土曜日に友達と日本語話しに行く、ただの、何ていうか、楽しい場所だったんで。フフ。

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現地校にも、きっと友達はたくさんいたと思うんだけど、現地校の友達と補習校の友達とを比べてみると、なんか違いとかありますか。

あー。現地校の友達はずっと会ってたし、自宅が近いので、やっぱり現地校の友達ともっと近い感じだったんですが、補習校の友達のほうは、やっぱり日本出身っていうつながりがあったので、何ていうか、独特なつながりがあったんですよね。なんか、日本の、日本についての、これが分かるとか、こういう会話もできるとか。日本人の子どもが普通に経験する、例えば、ドラえもんとか、そういう日本の子どもがよく知っているものを英語で会話するっていうのは、結構なんか変なもんだったので、そういう会話をするのが楽しかったです。

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中学2年生 ― 中学2年生の先生が、学校で一番怖い先生と言われていた人で。

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補習校の勉強の話に戻るんですけど、中学に入った頃、クラスメートに追いつかれても、やる気はなかったって言ってましたが、高校生でやめるまでずっとそんな感じだったんですか。

中1まで授業に対して、なんかのんびりな態度を取ってた記憶があるんですけど、中学2年生の先生が、学校で一番怖い先生と言われていた人で。イギリスの首相の翻訳者っていう仕事を持ってた先生で。めちゃくちゃ怖かったんですけど。

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怖いっていうのは、怒られるの?

怒られるっていうか、厳しかったんですね。小説を音読するだけじゃなくて、全てを暗記しろとか言われていて。枕草子も全部暗記して。漢字もありましたね。漢字の100問テストで90問以下だったら、合格するまで放課後残れとか。もう、やっぱり泣くほどだったんですけど、その年は、やっと「よし、もう少し頑張ってみよう」っていう判断をして、なんか、日本語力がそのときからものすごく上達したと思います。

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ああ、そうなんだ。じゃあ、厳しいからやる気をなくすんじゃなくて、むしろ頑張ろうっていう気になったんだ。

はい。中2の頃でも、努力をあまり入れなくても他の生徒と比べて一応できるほうだったんで。もう少し頑張れば絶対にいけそうだなという考え方で。

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そのいけそうっていうのは、どこに? そのときのゴールって何だったんですか。

うーん、ゴールはあまりありませんでしたね、正直。ただ、日本語を上達したいという目的で進んでて。

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シオンさんって厳しく言われたらやる気になるタイプ?

全くそういうタイプではありません。やってやるっていう気分が出たのは人生でそのとき、その1度だけだと思います。だから、僕も実際なんでやる気が出たかあんまり分かりません。でも、結構、母にも応援してもらって、母の影響でも、多分そこまでできたと思います。

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お母さんが日本語の勉強を応援してくれてたの?

はい。その中2の頃も母も勉強手伝ってくれて。ありがたいです。まあ、直接手伝ってもらうよりも、ずっと「ちゃんとやれ」って言ってくれるだけだったですけどね。フフ。何ていうか、モチベーションが低かったときとかは、いつも勉強やり続けるために、何とか説得してくれてました。なんか、「君には絶対実力がある」とか、「実力があるのに、それを努力に変えないと、なんも意味がない」とか言われてました。

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それで頑張れたんだね。

はい。で、中2から中3へ進学する、その最後の授業で、先生が私に話し掛けてきて、「君はこのまま頑張れば遠くに行けるんじゃないか」みたいなことを言われて。「このまま頑張っていけば東大まで行けますよ」って言われて。そのときから、あ、そんなの行けるんだっていうことに気づきました。でも、正直、その時はそれほど高校卒業してからの行方は考えてませんでしたね。

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高校2年生 ― 自分の周りには日本人の友達もたくさんいるから、日本語は忘れないだろうと。

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高校2年生で補習校をやめたのはどういう経緯で?

高2も進みたかったんですけど、現地校の受験がもっと重要だったっていうことで。補習校の時間自体が邪魔だったんじゃなくて、補習校のための毎週やらなければならなかった勉強がめちゃくちゃ多かったんです。それが心配でした。

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補習校を辞めるときって、日本語を使うことをやめるっていう感じはあった?

あー、全くそうではありませんでした。まだホームステイの友達もたくさんいたし。補習校に行かないと、特に読み書きとか漢字力とか敬語は、これ以上に上達しないのかなっていう心配はあったんですけど、まあ、自分の周りには日本人の友達もたくさんいるから、日本語は忘れないだろうと。

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東京大学に進学 ― あのときの先生の言葉が後から心の中から湧いてきた

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今は東京大学で勉強していますが、東大に入ることはどのようにして決めたんですか。

僕は、「なんかそこら辺のロンドンの大学でいいんじゃない?」っていう考え方だったんですけど、母から「東大はどう?」って言われて、なんか、「ああ、いいんじゃない?」っていう感じで。母がいなければ、東大に入ることも考えてませんでした。絶対無理だっていうイメージで。僕の努力のレベルだと絶対東大は入れないだろうと思ってたんですけど、何とか入ることができました。

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最初はロンドンの大学でいいって思ってたって言ってたけど、東大に行こうって思ったのは、どうして?

もともと最低1年は日本の大学で少し過ごしたかったんです。子どもの頃から1年に1度は日本に旅行として来ることがあって、日本に来ることは子どもの頃から大好きで。僕の目線からは、日本はたくさん遊べる天国みたいな感じに見えてて、だから多分これほど好きだと思うんですよね。 あと、東大に行くっていうのは、あのときの先生の言葉が後から心の中から湧いてきたっていうのもあったと思います。

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大学を卒業した後の進路はもう考えてますか。

考えてません。フフフフ。そろそろちょっと考えたほうがいいかなって思うんですけど、まあ、まだですね。

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