でも、サッカーはたしかに犠牲にされたけれど、親を長い間恨んでいたわけではない。日本語が大事だっていうのは、自分でも分かっていた。自分はドイツ人ではないということはたしかだった。まず、外見がドイツ人とはぜんぜん違うから、相手のリアクションが違っていた。それに、目上に敬意を払うというような親の日本的教育の影響もあって、ドイツの友達と価値観が違うなというのにも気づいていた。だから、俺も日本語は怠ってはいけないものだとなんとなく感じていた。サッカーができないことは残念だったけど、補習校に行きたくないとは思わなかった。
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