じゃあ、ケネスさんの中では、日本語センターは日本語を話せる子たちと会う場っていう位置づけだったんですかね。
そんな感じです。日本語の本はベネッセの「まなびライブラリー」っていう電子図書サービスがあって、そこで自分で読んでましたし。暇があるときは、一日中読んでました。だから語彙も豊富で、他の子よりも先生と話してるほうが面白かった記憶があります。他の子は授業以外ではお互いに英語で話すんですよ。僕と中2までセンターに残った同級生は日本語が流ちょうに話せたので日本語でおしゃべりしてたんですけど、他の生徒とはそういう交流があまりありませんでした。だから、必然的に僕とその友達と先生の3人で別の話題で盛り上がったりしてました。
たしか小学5、6年生ぐらいまでは頭の中の思考は全部、日本語だったんです。でも、だんだん英語が混じるようになって、危機感を覚えて。その頃は毎年日本に行ってたので、人と話せなくなるっていうのが、何か分からないですけど、すごい怖かったんです。それで、その頃から「日本語を忘れないようにしないと」っていう意識が芽生えて、自分で日本語を勉強するようになりました。
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