Story: 01

日本語学校は、学校っていうよりも交流の場みたいな感じだった。

イッシン

19歳(2020年インタビュー時)

幼稚園の年少まで日本で暮らした後、中国人の母親と中国に移る。私立外国語学校に通いながら、週末は日本語学校(小1~小6)と塾(中1~高3)で日本語を学んだ。学校の長期休暇は父の住む日本で過ごした。現在は日本の大学に通っている。

中国へ ― 今考えてみたら、結構つらい時間だったかもしれないですね。

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生まれたのは日本ですか。

そうです。千葉県柏市で生まれて、5歳になるまではずっと日本で生活してました。幼稚園の1年生の頃から母が「日本の教育はゆとり教育だ」って言ってすごい懸念していて、中国に連れていきたいというふうになって、幼稚園の2年生から中国に移ったんです。でも、ずっと日本で生活してたせいで、幼稚園にいる間はほとんど中国語はできませんでした。中国語の基礎がなかったので、今考えてみたら、結構つらい時間だったかもしれないですね。

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どういうことがつらいって感じてましたか。

あの、中国はやっぱり別の国と違って、小さい頃から日本に対する敵対的な考えを生活の中で伝えることが時々あるんですよね。まあ、悪意はないかもしれませんけど、日本人に対して鬼の子だとか、そういう感じで。何ていうかな、生活の中に溶け込んでるので、その子たちも気付いてないのかもしれませんけど、自然的にいじめになったりそういう感じのことが、まあ、僕の聞いた範囲では中国にいた日本の子どもだったら、少なからずあったみたいで。僕の場合だと中国語ができなかったので、それが余計深刻化していて。幼稚園の頃は日本人の友達以外には近づきたくもないというか。向こうから僕を避けてると同時に、僕も向こうを避けているっていうか、そういう感じでしたね。もう印象が薄いんですけど、他の日本人の子どもとしかしゃべったことがないような印象でした。僕は覚えてないんですけど、何度も幼稚園から逃げていったと母が大きくなってから教えてくれました。

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中国の小学校 ― ようやく、バイリンガルになったって感じ

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中国では外国語学校に通っていたということなんですけど、外国語学校って何ですか。

外国語学校っていうのは、よくある何々人用学校とは別で、外国語をメインとして、例えば英語を中心とした教育のプログラムを組み立てている学校です。私立の外国語学校に行ったんですけど、私立の学校でさえ、日本人に対する変な呼び名とかが結構あったんですよ。もし公立の学校とかに行ってたら、よりひどい状況になるんじゃないかって母が思って、私立の学校に僕を行かせたんです。

幼稚園のときは中国語ができなくてつらい時期だったんですけど、転機が来たのが小学校1年生の頃ですね。小学校1年生のときの教材というのは、中国語を体系的に学ぶ教材だったんです。最初のピンインから始まって、どうやって中国語を話すのかっていうのを、すごい体系的に教えてくれるっていうか、ちゃんと学べばできるようなるという。だから、その1年を通してようやく中国語の基礎ができて、1年生が終わった頃には中国語が話せるようになっていました。そのときになってようやく、まあバイリンガルになったって感じですね。

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中国語ができるようになって、何か変わりましたか。

やっぱりまだ小学生だったので、何かすごい大きい企みができたとか、そういうことは別にないんですけど、単純に生活が楽になったっていう時点でもう結構うれしかったですね。やっぱり自分でいろいろできるようになったというか、友達とも話せるっていうか、いじめられっぱなしじゃなくて先生にちゃんと報告できるようになったとか、そういう感じのことですね。その経験のおかげで勉強に没頭したのかもしれません。

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ああ、じゃあ小学校のときからずっと成績が良かったんですね。

まあ、母がすごい厳しかったので。だから、小さい頃はずっと頑張ってやってて。大きくなったら、母は関心なくなったんですけど。でも、僕は自然的にメリットを感じたっていうか、やっぱり成績が良いと学校での地位が上がるっていうか、そういう感じで自分を守ってきたので。中国の学校だと、成績の良い子は先生から、何ていうんだろう、関心が高いっていうか、おとなしい子だって見られて、より保護されてるっていうか、そういう感じだったので。「あ、これやっぱり成績本位だな」と思って、「じゃあ成績を良くすれば学校では大丈夫なのかな」っていうふうに思って。小学校でしたので、いじめとかは少なからずはあったとは思いますけど、やっぱり同級生からも、なんか家庭教師みたいな頼られる対象になるっていうか。「分かりやすく説明して」っていう感じで。

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じゃあ、もし成績がそんなに良くなかったりしたら?

地獄でしょうね。つらいと思います。

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日本語学校 ― 学校っていうよりも交流の場という感じだった。

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小学校に入ってから日本語のほうはどうでしたか。

生活で使ってる言葉の中心が中国語で、学んでるの中国語だし、英語も学んでるし、そういうような環境だったので、結果的に中国語の能力はすごくだんだん良くなっていって、これからずっと学んでいけば問題ないだろうっていう感じになったんですよ。その一方で日本語は使わなくなったので、母が「日本語絶対弱くなる」って言って、対策を何個か取ったみたいで。1つ目は、「家の中では絶対に日本語を使え」って。家に帰ったら、母とは日本語でした。2つ目が、土曜日の日本語学校。バスで1時間以上はかかる隣の市にあったので、朝早く起きて、他の子と一緒にバスに乗って行って、1日勉強して、帰りもバスで帰ってくるって感じで。

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日本語学校では、どんな勉強をしていたんですか。

午前2クラス、午後2クラスで、国語の授業もあるんですけど、数学の授業とか体育の授業とか、日本の学校と似たようなスケジュールを組み立てていて。で、まあ勉強もあるんですけど、教えてる内容がやっぱり日本寄りなので、中国の学校で教えてる内容よりは若干簡単で。勉強しているというより、僕個人的にはやっぱり日本語を使う場として利用していたって感じですね。

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勉強しに行ってるって感覚じゃなくて。

はい。個人的には、勉強よりも日本語を使ってるって感じでした。幼稚園からずっと一緒だった同級生も一緒に行ってて、外国語学校でも同じで結構仲良かったので、学校っていうよりも、何ていうんだろう、交流の場? そんな感じだった。先生が多めで子どもが少なかったので、先生もちゃんと一人ひとりを見てられるから、すごいゆるいっていうか、結構自由に行動できたりして。日曜日の習い事と比べたら、もう土曜日のほうが圧倒的に楽だったので、土曜日のほうが息抜きに感じました。

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日曜日は?

日曜日もほとんどスケジュール満タンでした。例えば、絵画の勉強と、えーと、囲碁。あと、バドミントンとかバスケットボールとか、いろんなの。いろんなクラスを入れていて、宿題は金曜日にほとんど終わらせないと間に合わないくらい。まあ小学校だったから宿題が少なかったっていう理由もあるんですけど、何とか間に合ってたって感じですね。

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今振り返ってみて、日本語学校はどうでしたか。

単純に国語とか算数とか、そういうわけではなくて、アサガオを植えて実験したり、ドッジボールとか体育系のこともいろいろあって、日本の学校に似せているっていうのを感じましたね。やっぱりそういう雰囲気をつくり出さないと、将来日本に帰る場合だと慣れなくなってしまうので、結構重要だと思います。

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日本での体験入学 ― 日本人の常識をよく体験できて、自分的には結構重要だな

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母の3つ目の対策というのが、夏休み、冬休みの体験入学です。中国の夏休みと冬休みって日本の3学期制とちょっと違ってて、日本ではまだ授業がある期間に自分が日本に帰ってきてる期間があったので、体験入学というシステムを使って、小学校の間は体験入学しに行ってました。

どうでしたか、体験入学は。

体験入学はやっぱり日本人の常識をよく体験できて、自分的には結構重要だなというふうに思っています。例えば、食事の担当割りとか掃除とか、そういうような、リズム? はやっぱり中国の学校と全然違って。廊下を掃除するということ自体が中国の学校ではなかったし、食事も食堂に行って配られてたって感じで、自分で分けてるわけではないし。一番感動したのは、日本の給食がおいしかったこと。フフフ。

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勉強とか友達はどうだった?

数学とか英語とかは中国でもうばりばり勉強してたので、それは全然追い付いてたんですけど、国語はやっぱり弱いっていうのが分かったので、そこを重点的に勉強しなさいっていうふうに言われて。

友達も別に特別な関係はなかったとは思いますね。そんなに友達つくるのが好きなタイプじゃなくて、一部の人としかそんなに関係を保たなかったって感じですかね。それに体験入学だったので、ちょっとの時間が過ぎればすぐに帰っちゃう感じだったので、ずっと一緒にいられたのが2、3人ぐらいで、友達とずっと仲良くいるのが難しかったっていうのはありますね。

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中学校では体験入学はしなかったんですか。

2012年か13年か、その頃なんですけど、結構反中ブームがあって。それを心配してっていう理由もあるんですけど、できなかったっていうのが、もっと正確ですね。中学校だと制服とか準備するものが多くなって、手続きが複雑になるので。あと、中学校になってきたらだんだんグループができてきて、それに溶け込めるかどうかも心配になって。「べつに塾に行ってるんだから、要らないんじゃない?」っていうふうになって、結局は中学校の間は体験入学しませんでした。

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日本人用の塾 ― マンツーマンで読解とか漢字の勉強とかをしていました。

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中学校のときは日本語学校を辞めて、塾に通っていたんですね。日本語学校を辞めた経緯は覚えてますか。

あのー、そうですね。僕もそんなに具体的に覚えてないんですけど。何ていうか、母たちの決断だったので、そんなに知らないんですけど、たぶん中学校の授業を提供してなかったんだと思いますね。それが一番大きい理由だと思います。

確か5年生の頃に辞めたんだと思います。なんで中学校より前に辞めたのかはそんなに聞いてないかな。他の日本人の学生たちとの連絡が薄くなったっていう理由もあると思います。僕は小学校5年生のときに、ちょっと家から遠い、もっと環境のいい外国語学校に転校して寮に住むようになったんです。それで、外国語学校が同じで日本語学校にも一緒に行ってた子たちとも連絡が薄くなってしまったせいで、結局は辞めちゃったって感じです。

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辞めることはすごい嫌だとか、逆にすごい辞めたいとか、そういうわけではなかったんですね。

ああ、どちらかというと辞めたくなかったかもしれませんね。結構息抜きだったし。でもまあ、母に抗えなかったっていうか。 それで、中学校からは家に近い日本人用の塾に毎週1時間か2時間くらい通って、マンツーマンで読解とか漢字の勉強とかをしていました。習ってた内容も最初から中学生の内容ではなくて、低いレベルから少しずつ積み上げていったって感じです。漢字は中国の環境にいたので問題がないと思ってたら、全くの逆で、日本の漢字って中国の漢字と違う部分が結構あって、そこの部分が間違いやすくなってしまうっていうことがあって、じゃあ、しょうがないからもう一回体系的に学びましょうっていうことになって。

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なるほどね。お母さん、やっぱりイッシンさんの日本語のことを気にしてたのかな。

そうですね。ずっと気にしてくれてたので。で、まあ、その結果、いろいろ苦労したんですけど。

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苦労っていうのは?

週末の間はずーっと習い事があったって言っても過言ではないくらいだったので。自分の時間っていうのがなかったですね。塾は午前の1時間か1時間半くらいの授業しかなかったんですけど、午後にまた別の習い事があって、で、日曜日もまた別の習い事があって。その隙をとって学校の宿題をやってた。

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そっか。日本語学校に行ってたときは、日曜日の習い事は大変だったけど日本語学校はなんか息抜きっていうか、そんな感じがしたって言ってたでしょ?中学校からの塾はどんな感じでしたか。

塾だったので、宿題もあって勉強事も結構ぎっしりしてたので、まあ嫌いとは言えないんですけど、やっぱり難しいって面もあって、うーん、昔の日本語学校と比べたら休憩しに行く場所ではなかったですね。でも、自分の日本語の能力が心配になってたっていうのもあるので、辞めたいとは思わなかったです。例えば中学3年生なのに、中学3年生の問題が解けない。そういうのがあって、将来は日本に帰ってくるのは決めてたので、日本語が弱くなっちゃダメじゃんっていう感じで。

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日本に帰って来ようっていうのは決めてたんだ。

そうですね。日本の大学に将来帰ることは、母の中では確定事項だったので。絶対に帰りなさいって感じで。

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それはどうして。

中国の大学に入るには統一試験を受ける必要があったんですけど、外国語学校はちょっと違うカリキュラムだったので、公立の学校の人たちには敵わないってことでほとんど考えてなかったですね。で、他の国の大学に行くのは学費がかかるんです。例えば、イギリスだと10倍以上とか。

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それで日本の大学に行くつもりだし、自分の学年に追いつかないとって感じだったんですね。

はい、でも日本語の能力を保つためには結構苦労していました。塾も学校並みの宿題量があったりして。でも、一番つらかったのは、それ以外で自分の日本語の能力を確認する場所がなかったことです。学校では練習できないし、母も時々出張していたので、会話する人が少ないと反応が見づらいというか、「これ合ってんの? 合ってないの?」っていうふうに確認できる相手が少ないんで。自分で動画を見たりして、補強する必要があったって感じですね。

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大学受験の面接練習 ― 少し自信が持てたかな

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そうやって勉強して、日本の大学に来たってことですね。

はい。あの、中学校、高校の頃の塾とは別に日本の塾にも短期間参加してたんですよね。オンラインの講座もあったりして、それにも参加していて。で、特に役立ったのはそのオンラインの講座じゃなくて、大学入試の前に夏休みにやってもらった面接の練習でした。僕は高校にいる間、すごく緊張しがちだったんです。例えば、イベントのショーでは裏で音楽とかスクリーンをコントロールするとか、そういうことをやって、ショーには絶対に参加しませんでした。特に人前でスピーチするなんて絶対に無理だっていうふうな感じで。でも、その面接の練習を通して、少し自信が持てたかなっていう感じです。

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緊張しがちだったのは昔からですか。

昔はそんなこと気にしてなかったんです。母の話によると、昔は結構舞台の上に立つような性格だったみたいなんですけど。でも、やっぱり日本人の身分があるので、ちょっと変な目で見られてたっていうことがあって、結構自信がなくなってたっていうのもありますね。

国際バカロレア教育では、「より世界的なインターナショナルな視点を持ちましょう」って言われてたので、最初は自分も積極的にやってたんですよね。だけど、最初の頃はみんなまだそういう視点が生まれてなかったので、やっぱり中国以外の視点のことを言うと、逆に批判されてしまうっていうことも。先生には言われないんですけど、同級生からは嫌われてしまう。それで、他の人がそういう考え方を受け入れないっていうことが分かったので、「あー、じゃあ、いいや。言わないでおこう」っていうふうになって、相手によってしゃべることを変えるようになってしまいました。

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それが面接の練習を通して変わったんですか。

はい、そうですね。結構変わりました。相手に受け入れられやすいように説明する能力が上がったのかもしれない。「これもいいんだけど、これのほうがいいんじゃない?」とかそういうふうに相手の話に賛同しつつ、自分の意見を練り込んでいく。「あ、なるほど、そっちのほうが説得しやすいのか」っていうふうな感じで。昔は頭が固かったっていうのもあって、自分の意見が唯一でしたけど。

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ちなみに、塾ではどんな練習をしたんですか。

最初に大きな何枚かの紙をくれて、その上に面接で聞かれそうな質問とか、自分の趣味とか自分の好きな本、自分の関心のあるニュースとか、そういうのを整理してきなさいって言われて。で、書き終わった後に机の上に伏せておいて、先生がそれについていろんな方法で聞いてくるんですよ。最初は全然覚えてなくて、時々チーティングしようとしてたんですけど、だんだん慣れてきたっていうか、頭の考えが追い付くことによって、自分の考えを伝えれるようになったっていうか。今は結構、積極的に自分の意見を言うようにしています。

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大学卒業後は日本に住むつもりですか。

はい。日本に住んで、自分の言語のアドバンテージを使いたいなと思っています。でも、やっぱり一つの社会環境にいると別の言葉が弱くなるのはやっぱり必然的な結果みたいで、今は逆に中国語が心配になってる。

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ちょっと中国語が最近は弱い感じがしますか。

はい。だから、忘れないようにしなきゃって感じですね。中国語の本を読みたいんですけど、オンラインで読むしかないので、今は父から「ずっと携帯を見てんじゃないよ」って怒られてます。

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