Story: 12

日本人とボリビア人、どっちかに寄らないといけないのかな

S

20代後半(インタビュー時)

ボリビアのオキナワ移住地で生まれ育つ。現在は母校の日本語学校で教員として勤めている。

小学校入学まで-2年間、日本で過ごす

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最初にSさんのプロフィールを教えていただけますか。

生まれは南米の中心にあるボリビアなんですけど、お父さんのほうが1960年ぐらいに沖縄から来た日系の家系です。最初におばあちゃんがこっちに来たのかな。その後におじいちゃんが来て、ここで出会って、結婚して。お母さんのほうは日系とか関係ない、現地の家系です。

僕は生まれてから、うちにいるときはずっとスペイン語をしゃべっていました。そして、3歳ぐらいのときに両親が「一回日本を体験させたいね」って言って、約2年間日本で保育園に通いました。

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それは沖縄で?

沖縄じゃなくて神奈川県です。神奈川はペルーとかブラジルとかアルゼンチンとかの南米の人たちがなぜか多いんです。親戚もそこに住んでるっていうことで、神奈川のほうに行きました。

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じゃあ、日本の保育園に入って、そこで日本語を覚えたんですね。

保育園は授業とかはないですけど、友達がいるので覚えるしかないって感じですよね。生まれて最初に覚えたのはスペイン語ですけど、3歳から5歳ぐらいまではずっと日本語で過ごしてたので、スペイン語と日本語とどっちがメインなのか分かんないっていう部分はありましたね。

1年生でボリビアに戻って、今度はまたスペイン語を勉強しないといけませんでした。お母さんがずっとスペイン語だったので、うちの中ではスペイン語しゃべってたんですけど、やっぱりちょっと足りないというか。でも、思い出すだけなので特に問題はなかったかな。

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日ボ日本語学校での小中学校時代-どっちつかずっていう感じはありましたね

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小学校は、僕も今教えてるオキナワ第一日ボ学校に入りました。日ボっていうのは、日本・ボリビアっていう意味です。朝は普通の科目、日本でいう国語とか数学だったりを全部スペイン語でやります。お昼からは日本語の授業です。そこに中学校まで通いました。

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その学校に通って、どうでしたか。

正直に言うと、他のボリビアの学校は勉強の質が良くないっていうイメージがあって、僕もそう思ってました。日ボ日本語学校は私立で高いお金を払ってんだから、勉強の質はこっちのほうが高くないといけないよねって、僕も小さい頃からそう考えていたんですよね。

クラスの人数もボリビアの学校は40人とか30人で、多い。でも、僕が通ってたこの学校は、多くても15人とかなんですよ。上のクラスとか下のクラスともしゃべったりして、結構楽しかったですね。

ただ、他の子たちは基本的にお父さんもお母さんも日系人なので、日本人顔っていうか、もう日本人みたいな感じなんです。僕は同級生が16人いたんですけど、日系人とボリビア人のハーフは2、3人。友達とは普通にスペイン語とか日本語でしゃべってたんですけど、やっぱり顔的にはボリビア人寄りなので、「日本語ぺらぺらしゃべるの、なんかおかしいね」って感じで言われたりしました。でも、ボリビア人からすると僕は日本人顔みたいで、逆に「スペイン語ぺらぺらなの、おかしいね」って。どっちつかずっていう感じはありましたね、前は。

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前っていうと、いつ頃ですか。

一番考えたのは、小学生の高学年とか中学生ぐらい。べつに僕は日本人と言われてもいいし、ボリビア人でも、どっちでもいいんだけどな、みたいな。なんでそんなこと言うのかな、って感じ。相手はたぶん、気にしてないんでしょうね。気にしないで、「すごいよね」みたいな言い方かもしれないんですけど、多感な時期だったので、いろいろ思ってたんですよね。どっちかに寄らないといけないのかな、ハーフって言われるけど普通にSじゃ駄目なのかなみたいな。今は特に気にしてないですけど。

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どうして気にならなくなったんですか。

どうしてでしょうね。いつのまにか気にしなくなりました。よくよく考えれば、こっちって日本人は礼儀正しいとか優しいとかおとなしいみたいな、そういうイメージを持ってる人が多いんですよね。反対に日本から来る日本人がボリビア人を見て言うのは、優しいとかアクティブですぐ仲良くなれるみたいな、ポジティブなこと。でも、本当はポジティブな面もあるしネガティブな面もありますよね。日本人でも礼儀知らずもいるし、ボリビア人でも悪い人もいる。だから、悪い人もいるし、いい人もいるんだから、そういう国だからとか、そういう人種だからっていうのは関係ないんじゃないかなって思った。だから、「あほらしいな」って。

日本国籍を取って、日本のパスポートを持ったらいろんな国に行ける。プラスじゃん、って考えたり。でも、日本は仕事が忙しそうで大変そうだから、ボリビアはゆったりして、ゆっくりでスローライフだから楽しいじゃん、みたいな。どちらもプラスのほうで考えるようになりましたね。

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街の高校へ―日本語学校との違い

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高校はボリビアの、スペイン語だけの学校に行かれたんですよね。

はい、日本語学校には高校がなかったので。日本語学校は生徒が少なかったのに、高校では急に同級生が倍になって、「大丈夫かな。こんなに人がいっぱいいて、名前を覚えられるかな」って思いました。

あと、違いを感じたのは、日本語学校は日本語を学ぶだけじゃなくて、礼儀を学ぶ部分もあるんですよ。掃除もクラスでやったりするじゃないですか。日本でもやりますよね。それって日本独特で、ここの学校って生徒は掃除をしないんですよ。なので、高校の同級生が鉛筆削り持って、床に向かって鉛筆削ってるのを見て「何やってるの」ってショックで。紙を丸めてポイって床に捨てたりもしてて。「教室汚さないで。ちゃんとごみ箱があるんだから、捨てなさい」って思いました。なので、そういう部分では日本語学校でちゃんと教育されてきたんだなって思いました。

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日本語を使い続ける―日本語はゲーム、漫画、アニメ、ドラマで覚えてました

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高校では、日本語の授業はなかったんですよね。

はい。僕の場合はサンタルクスの街の高校に入ったんですけど、お姉ちゃんといとこと3人で暮らしてて、基本的に家では日本語で会話してました。ただ、それだけだと日本語はしゃべれるけど、書けなくなったり読めなくなったりしていくんです。だから、日本語はゲーム、漫画、アニメ、ドラマで覚えてました。日本から送られてきた漫画だったりゲームだったり。あとはYouTubeとかニコニコ動画とかで、適当に面白い動画を再生してました。音楽もランキング聞いて、「これいいね」って。そういうのは結構してました。あとは、いとこがウェブ小説にはまってて、「ここで読めるよ」って教えられて、僕もちょっとはまって読み始めました。それこそ今アニメとか漫画とかでよくやってる、『転生したらスライムだった件』とか。ああいうのが出始めた頃にちょうど読んでました。

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じゃあ、読むのもぜんぜん問題なく。

日本語学校では中学生のときに、まだ小学生の国語の教科書を使ってるんですよね。だから、漢字も学校で習った小学3、4年生の漢字ぐらいしかできなくて、読めない漢字のほうが多いんじゃないかって感じです。だから、ウェブ小説は振り仮名を読んで「この言葉の漢字はこれか」とか、漢字の形を見て「こういう意味かな」って考えていました。別の言葉で同じ漢字が出たら、「これとこれは同じ漢字だから、意味はこれが正解なんだ」みたいに、ちょっとずつ覚えていきました。そういう部分では、漢字は好きだったんですよね。分からない漢字を、「なんでこれがこう読めるんだろう」って考えるのとかが。

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学校で習ってたときから漢字は好きだったんですか。

実は学校にいる間は、書いて覚えて小テストやるって面倒くさいなって思ってました。ひらがなとカタカナを覚えて、なんで漢字まで覚えないといけないんだって。正直言うと、文法も分かんなかったです。今はちょっと分かるんですけど。スペイン語では主語と述語は全然分かるんですよ。でも、日本語だと主語・述語・装飾語がどうのこうのとか、全然分かんなかったんですよね。文章は自分で書けるんですけど。

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あまり日本語の授業は好きじゃなかったんですか。

作文とか教科書を使うのは、面倒くさいことが多いなって思ってました。ただ、学校のイベントはだいたい日本語側の教師が主催でやってたので、イベントの準備とか練習とかは日本語でやって、そういう部分は好きだったな。

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どんなイベントをやっていたんですか。

それこそ日本みたいな運動会やったり、お話大会っていって、自分でテーマを決めて作文書いて、それを発表するイベントとか。あと、文化祭を地域でやるときに、踊りだったり出し物の練習をして、発表したり。一番楽しかったのは、やっぱり宿泊学習ですかね。ここは第1移住地オキナワなんですけど、他に第2移住地オキナワと第3移住地オキナワがあるんですよ。宿泊学習は、第2にある学校と合同で、その年主催の学校に泊まりに行くというイベントなんです。金曜日の夕方に学校に行って、カレーを作って、夜はキャンプファイヤー。大きいキャンプファイヤーをつけて、出し物したりフォークダンス踊ったり。それが一番楽しかったかな。

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大学進学から母校の教員になるまで―1年ぐらいやったら日本に行く資金になるかもな

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今は母校の日本語学校で教えていらっしゃるということなんですけど、どういう経緯で母校に戻られたんですか。

大学の専攻はシステムエンジニアリングだったんですけど、スタートダッシュが遅れて、人数制限で1学期目に一番大事な授業が取れなかったんですよ。絶対受けないといけない授業だったんですけどね。それで1学期目からずれちゃって、大学の勉強が後々忙しくなったんです。で、週末は移住地でイベントがあったりしたので、街に行ったり移住地に戻ってきたりしてたんですよね。本当はどっちかをやめればよかったんですけど、どっちもやってたらちょっと疲れがきて、軽いうつ状態だったのかな。何もしたくなくなって、大学も行かなくなってイベントも出なくなって。「疲れたなら、大学やめな」って親に言われて、ちょっと大学を休みました。

休んでる間に、1歳違う知り合いの子に「お菓子作りの教室に通うけど、いっしょに通ってみない?」って誘われて、通ってみたら楽しかったんです。その後は日本に行きたいけど金銭的な問題もあるから難しいなと思って、パティシエの専門学校に2年間通ってパティシエの資格を取りました。その後は1年間、移住地の青年会の青年会長をやりました。そして、仕事を探そうとしたら、ちょうど国のごたごたがあって仕事も減ってきたので、「どうしようかな」ってなってるところに、今の校長先生が「日本語の先生探してるけどやってみない?」っ来て。1年ぐらいやったら日本に行く資金になるかもな、みたいな感じで始めたんです。

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日本に行きたいという気持ちがあったんですか。

日本に出稼ぎで行く知り合いが多いんですよね。僕の同級生も半分は日本に行ってるんじゃないかな。こっちでは「一度は日本で働く経験をしてみなさい」みたいに言われたりもする。ボリビアってちょっと閉まってるというか、鎖国ではないんですけど日本からのものに制限があったりするんですよね。でも、日本のYouTubeを見たら、「面白そうなものがいっぱいあるな。家電とかも日本すごいな」ってなるんです。出稼ぎで戻ってきた人たちも、「一度は行ってみたらいいんじゃない。楽しいよ」「仕事は窮屈だけど、いろいろ遊べる所もいっぱいあるし、すげえものいっぱいあるよ」って言う。なので、遊びに行く感覚で1、2年行ってみたいなという憧れはありますよね。

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行くとしたら、どこに行きたいっていう希望はあるんですか。

それ言われたら、分かんないですね。とりあえず日本食が食べたいっていうのがあって。ボリビアにも一応ラーメン屋あるんですけど、出稼ぎに行った人に「食えたもんじゃねえ」「日本から帰ってきたら、もう食べれない」って言われるんですよ。日本のラーメンはそんなにうまいのかって気になりすぎて、「ラーメン食べてみたいな」って思ってます。ラーメンとかうどんとかが全然違うらしいので、食べに行きたいなって。

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じゃあ、そのうち日本に行こうって考えてるんですね。

そうですね。ただ、先生になってから4年目に突入しちゃったし、研修も受けてるし、もうそのまま続けようかなって。まだ分かんない。まだ決めてないですね。

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教えること自体は、どうですか。

実はこの1月に汎米研修っていう、南米の日本語教師がブラジルに集まる研修があって参加したんですよ。それが、いろいろ考え直す機会になったんですよね。そのときに思い出したのが、中学生の頃に同級生にあんまり勉強が得意じゃない子がいたんですけど、仲が良かったから放課後とかに宿題を一緒に解いて、分からないところは教えるとかやってたんですよね。高校行って、ボリビアのスペイン語だらけの学校でも数学とか理科が結構得意だったので、そこでもお昼休みとか放課後に友達に教えてた。大学でも数学の授業だったりがあったんですけど、同級生に空いてる教室でちょっと教えてもらえないかって言われて、代わりにご飯をおごってもらうみたいな条件で教えたりしてたんです。だから、教えることは意外と結構前からやってたんだなって、やっと思い出したんですよね。そして教えるのも結構楽しいって感じるので、もしかしたら向いてるのかもしれない。
先生は少なくとも今年いっぱいはやる予定です。今、28歳なんですよね。30までには何か決めないとなって思ってます。

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