Story: 09

人と話せなくなるっていうのが、何か分からないですけど、すごい怖かったんです。

ケネス

高校3年生(インタビュー時)

カナダのケベック州モントリオール在住。中学2年生まで日本語教育センター(継承語学校)に通っていた。

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プロフィール

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プロフィールを簡単に教えてください。 

カナダのケベック州にはセジェップっていう特殊な制度があるんです。中学5年の後にいわば高校みたいなのが2年あって、そこで今1年生をやっています。だから日本でいうと、高3になります。セジェップというのは、大学の準備校みたいなものなんですけど、内容としては中学5年の復習と大学の準備的なことをします。

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それは、ケベックの人はみんなやるんですか。

ケベックで育って、ケベックの大学に行く人は大体みんなします。でも、アメリカの大学とかケベックの外の大学に行きたいっていう人は、セジェップの1年目だけやって、その後大学で別のところに行ったりします。僕は、わりと近場にそこまで悪くない大学があるので、他に行こうとは特に思ってません。

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育ったのは、ずっとケベックなんですか。

バンクーバーで生まれて、2歳のときにベルギーに引っ越しました。父親はオランダの人なんですけど、理由は知らないですけどベルギーに引っ越して、そこで2年過ごしました。4歳でまたバンクーバーに戻って、小学3年生のときにケベックに引っ越してきました。

家では、母親ときょうだい2人と日本語を話しています。小さい頃からベネッセの教材を取っていて、家にも日本語の本がたくさんあって、日本に行くたびに本を買ってきてました。

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日本語の学校に通ったりはしていたんですか。

バンクーバーでもたしか小さい学校がありましたね。そんなに覚えてないんですけど。友達が4人ぐらいいたのは覚えてるんですけど……。小学3年生のときにケベック州に引っ越してきて、日本語センターという学校に編入しました。

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日本語センター — 日本語を話せる他の子どもたちと接する場所

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親御さんに言われて、日本語センターに行きはじめたんですか。

そうですね。中等部に上がる頃にセンターに通い続けたいかどうか聞かれて、自分で行きたいと言うようになりました。それまでは嫌々でした。僕は人と交流するのが苦手なんですね。昔から1人でいるほうが好きで友達もそんなにいなかったので、行きたくない気持ちがあったんだと思います。

勉強面では、日本語センターは宿題がほぼなかったというか簡単だったので、負担はありませんでした。ベネッセの教材をやってたこともあって、日本語センターはあくまで日本語を話せる他の子どもたちと接する場所を、親に与えられてた感じでした。

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じゃあ、ケネスさんの中では、日本語センターは日本語を話せる子たちと会う場っていう位置づけだったんですかね。

そんな感じです。日本語の本はベネッセの「まなびライブラリー」っていう電子図書サービスがあって、そこで自分で読んでましたし。暇があるときは、一日中読んでました。だから語彙も豊富で、他の子よりも先生と話してるほうが面白かった記憶があります。他の子は授業以外ではお互いに英語で話すんですよ。僕と中2までセンターに残った同級生は日本語が流ちょうに話せたので日本語でおしゃべりしてたんですけど、他の生徒とはそういう交流があまりありませんでした。だから、必然的に僕とその友達と先生の3人で別の話題で盛り上がったりしてました。

たしか小学5、6年生ぐらいまでは頭の中の思考は全部、日本語だったんです。でも、だんだん英語が混じるようになって、危機感を覚えて。その頃は毎年日本に行ってたので、人と話せなくなるっていうのが、何か分からないですけど、すごい怖かったんです。それで、その頃から「日本語を忘れないようにしないと」っていう意識が芽生えて、自分で日本語を勉強するようになりました。

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日本での体験入学-久しぶりに日本っていう見慣れた環境に帰ったみたいな感じ

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日本では、どんなふうに過ごしていたんですか。

こっちは夏休みが6月末ぐらいから始まるので、その時期から日本での夏休みが始まるまでの数週間ぐらい、帰った先の新潟の学校で授業を受けてました。記憶に残ってるのは、幼稚園、3年生、5年生、中1です。特に3年生のときはバンクーバーからケベックに引っ越したばかりで、新しくフランス語を覚えたりする中で日本に行ったんです。だから、新しい環境でいろいろつまずく中で、久しぶりに日本っていう見慣れた環境に帰ったみたいな感じがあって、印象に残っているんだと思います。

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日本では毎年同じ小学校で、同じクラスメートだったんですか。

クラスメートは覚えてる人が多かったです。中学1年生で戻ったときに、前に会ったときはずっと鼻水たらしてたやつが、いきなり身長が高くて細いやつになってて、すごいびっくりしたのが印象に残ってます。だから、見慣れた顔がありました。相手も覚えててくれて。

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人と話すのはあまり好きじゃないって言ってましたが、大丈夫でしたか。

今はたぶん違いますけど、新潟はわりと外国人が少なかったんで、前は街を歩くだけで注目を浴びて、「やたら視線を感じるな」っていう感じでした。特に父親が一緒に歩いていると思いっきり目立ってたので、最初は物珍しさだったんだと思いますけど、仲良くなれました。人見知りもあったんですけど、特に男子がすごい積極的に話しかけてくれて、何回か会ってたら普通に話せるようになって、すぐに仲良くなれました。

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日本語での読書 — 図書室にある本はほぼ読破したと思います。

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日本に帰るたびに日本語の本も買ってきていたっていうことでしたね。

母から聞いたんですけど、小さい頃は昔話を読んでと何回もせがんでたらしいです。部屋のすみっこで本を読んでた記憶があります。あと、こっちに引っ越してきたときに、日本語センターに図書館があったんですね。たくさん本が置いてあって、その中でマンガが最初に目に留まって、そこからのめり込むように本を読むようになり、たぶん2年ぐらいで図書室にある本はほぼ読破したと思います。小学生が読める本は大半読みました。

4、5年前に家族でフロリダに行ったんですね。車に乗ってる間、暇じゃないですか。だから、親にiPadを貸してもらって、そこに『転生したらスライムだった件』を全部オフラインリーダーに入れて、2週間ぐらいで読んだんですよ。20巻ぐらいあったと思います。

素人が書いてる小説は、無料じゃないですか。だから、そういうのも宿題の合間に読んだりして。パソコンで課題を提出しないといけないときとか、親の目を盗んで小説を読みながら宿題を進めてっていうことをやってました。

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かなりの読書量ですね。

そうですね。特に何か知識を学んだわけじゃないんですけど、読んだ量はかなり。それで漢字がすごく読めるようになりました。ネット小説はやたら難しい漢字を使いたがるので、検索して意味を調べたりして、ことわざとか表現とかもそれでかなり覚えたと思います。

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それだけ漢字とか語彙とかを知ってたら、日本語センターの勉強は簡単すぎませんでしたか。

すごい簡単で、プリントを渡されてささっと終わらせて、あとは友達とおしゃべりしてました。それで先生がもっと難しいのを出してきて、「もっと!」と先生にせがんだら、先生によっては難しいのを出してくれました。

中等部に入ったら、日本から取り寄せた教科書で授業をやるんじゃなくて、日本の文化について学んだり、ニュースを読んで意見を出したり、内容が学校の授業というより交流的なものになったのもあって、もっと楽しくなりました。日本から来てた先生が大学で美術関係のことをやってて、絵画とかの複雑な内容の話をよくしてくれてたのを覚えてます。日本語の授業じゃなくて、美術の授業って感じで。その後の先生たちも、そっちのほうが人気だからと日本のお菓子を作って、それがどういうものなのかを教えてくれたり、日本の歌を聞かせてもらって歌詞を聞いて書いてみる、みたいなのもありました。

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日本語センターの友達 — 秘密を共有し合える感じ

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日本語センターの授業を楽しんでたみたいなんですけど、中2でやめちゃったんですね。

コロナ禍になって、学校の体制が複雑になって。当時僕は中学2年生で、どうせあと1年で卒業だし、センターに残ってる同級生も1人しかいなかったんです。だから、その同級生と続けるか続けないかって話し合って、片方が行けなかったときに先生と一対一でやるのはどうなのかなって感じになって、やめました。

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日本語センターの友人関係って、どういう感じだったんですか。

僕がこっちに引っ越してきたときにセンターで一番日本語が流ちょうに話せたのが、その最後まで一緒に残っていた友達の彼だったんです。僕がセンターに入ってきて日本語の話し相手ができて、すごい仲良くなって。他のメンツはそんなに日本語が好きじゃなかったというか、興味がなかったんだと思いますけど、1人ずつやめていって、結果、残ったのが僕と彼でした。 今も夏休みとか冬休みとか、時間があるときにたまに会ったりします。

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いいお友達なんですね。

どう言ったらいいか分からないんですけど、日本とこっちとで価値観って違うじゃないですか。距離感も別物なんですよ。こっちの友達は越えちゃいけない一線があるような、お互いに最低限の距離を置いている感じがあるんですね。でも、日本人の友達はそれが薄い感じがして、距離感が違う。

あとは、日本語だと砕けた話し方があるじゃないですか。そういうので仲良くなりやすいんですよ。英語とかフランス語とかだと特に砕けた話し方みたいなのはなく、ある程度カジュアルな話し方と正式な丁寧な話し方と2種類があって、友達との間では気さくなほうを使うんです。英語とかフランス語とかだと、情報交換だけで終わるみたいな感じがします。でも、日本語だといろいろと使い分けやすくて、距離感を合わせやすい。人間関係を言語で表しやすいみたいな。僕の個人的な見解ではありますけども、日本語のほうが親しみを込めやすい気がします。

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さっきの一線を越えてはいけないっていうのも、日本語センターのそのお友達とはもっと親しい感じがするってことですかね。

秘密を共有し合える感じですかね。悪友になれるような。こっちのやつらは社会的な立場を保つのが最優先で、その延長線上の友人関係みたいな感じがするんです。でも、僕とそのセンターの友達との関係は、お互いの性格もあると思うんですけど、2人とも悪ふざけというか、そういうのもあってもっと距離が近い。こっちで日本語が話せる希少な友達っていうのもあると思います。

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オランダ語への危機感 — ゲームの言語をオランダ語とか日本語とかに変えてみた

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コロナになった直後は学校とかも全部なくなって何もすることがなかったので、ネットでYouTube見たり小説を読んだり、そういうのにひたすら時間を費やしてました。

日本語を忘れることに対しての危機感を5、6年生ぐらいで覚えたって言ったじゃないですか。同じような感じで、父親とほとんど話してなかったオランダ語をちょっと頑張ってみようっていう気になって、ゲームの言語をオランダ語とか日本語とかに変えてみたんですよ。それまでは英語だったんですね。うちで持ってたのがWii Uで、言語が変えられなかったんですよ。でも、Nintendo Switchを買って、言語設定がかなり簡単にいじれるようになったので、「じゃあ、いろんな言語でやってみよう」って思って。そういうので、難しい言葉を覚えられました。

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たとえば、どんな言葉ですか?

『ポケモン』を日本語にしたら、「奮い立つ」とか日常では使わないような言葉や言い回しが見られるようになったんです。小説だと、標準語で書かれてるじゃないですか。それがゲームだとキャラ付けで方言を使ってたり、言い回しが独特だったりするので、いろいろ視点が変わって、覚えることが増えました。

僕はオランダ語のほうが語彙がかなり少ないんで、最初に日本語でやって、2周目をオランダ語でやってみようって言語を変換して。頭の中で互換性が取れたら覚えられるかな、って。

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面白いですね。自分でそういうやり方を考えついたんですか。

Nintendo Switchを買って、言語の選択肢が大量にあるのを見てわくわくしたんですよね。「これでいろんな言語を試してみられるな」と思って、「じゃあ、一度も日本語でやったことないゲームを日本語でやってみよう」っていう気持ちになって、そこからオランダ語も。日本語と英語でやったんだから用語がどう変換されるか分かるだろうと思って、オランダ語でやってみました。

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日本語に危機感を覚えたのは、人と話せなくなるんじゃないかという不安がきっかけだったんですよね。オランダ語に関しても、何かきっかけがあったんですか。

日本語のほうは他の人と話せなくなるっていうのと、母親と話してるときに頭の中で最初に英語の言葉が浮かんだのが「やばっ」てすごい焦って、日本語覚えないとって思ったんですよ。オランダ語のほうは父親以外に接する人がいないので、そこまで必要性を感じなかったというか、特に覚えようという気はなかったんです。でも、コロナ禍になって時間ができて、えらそうに聞こえるかもしれないですけど、自分を見つめ直したりする過程で「オランダ語を話せなくなるのは恥ずかしいな」と思い、少し頑張ってみようと思うようになりました。

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お父さんとは、ずっとオランダ語で話してきたんですか。

父親はガレージに引きこもって家具を作ったり車を修理したりとかで忙しくて、僕は部屋のすみっこで本を読んでて、昔から特に会話とかしなかったんです。だから、語彙が貧弱な片言のオランダ語でも成り立ってたんですよ。でも、成長するにつれて会話の幅が広がって、話しづらいなと思い始めたときに、「もうちょっと勉強したほうがいいな」と。あと、父親の読んでるオランダ語のニュースサイトもたまにのぞくようになりましたね。オランダ語を覚えられたらなという軽い気持ちで少しニュースサイトをのぞいたりするのを、隙間時間にやったりしてました。

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へえ。日本語でもニュースを見ますか。

日本語ではニュースはたいして見ないんですけど、マンガとかアニメを追ってると、日本での情報が最速で出るので、そういう経緯で日本のSNSには少しアンテナを張ってます。でも、だいたいの情報は英語圏が一番豊富なので、日本語と英語でSNSをスクロールして情報収拾をしてます。たまに日本の政治のこととか聞きますけど興味ないんで、マンガとかの情報を見たりするのがメインです。

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将来 — 日本の学校に行くつもりはなかったです。

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セジェップの後はケベック州で進学したいと言っていましたが、将来、日本の学校に行こうかなって考えたことはありますか。

日本の学校に行くつもりはなかったです。国語が嫌いで、苦手だったんですよ。特に中学の通信教育で古文が本当に意味が分からなさすぎて。あと、話の内容から作者の気持ちを察しろという質問が大っ嫌いで、それが常識みたいな日本はやだなって。

今となっては日本はおいしいご飯もあるし、娯楽も充実してるけど、人間関係とかが悪い意味じゃないんですけど、僕の生まれ育ってきた環境と違うっていうか。そんなに日本の労働環境がいいとも聞かないし。将来的にも英語で勉強したほうが選択肢は広いかなっていうのもありましたね。引っ越すのはめんどくさいや、というのもありまして、カナダで大学に行っちゃおうと。でも、大学の間に留学して日本に行く可能性はなくはないかな。半年とか1年とか、あくまで予備の選択肢として。

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将来の仕事はカナダとかで英語を使って?

はい、英語圏でと考えてます。

あとは、もう少ししたら日本語センターでバイトできるかなって思ってます。アシスタントとして、子どもに日本語を教える手伝いができるかなって。センターのその友達と、卒業したらどうやって会えるかなっていう話になったときに、「2人で教えたらいいんじゃね?」ってなって、それは悪くないなって。先生にも「そのうちアシスタント役で来ないか」って勧められたんですよ。

子どもには、せっかく日本語とかを継承できる環境に巡り会えたんだったら、せっかくだし、ものにしたほうが得だろうって、自分と他の人との架け橋的なものを捨てないほうがいいんじゃないかなって、そんな感じのことを言うと思います。もうちょっと簡単な分かりやすい言い方で言いますけど。「もったいないじゃない」って。

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