Story: 05

バイリンガルとして生きること

リョウイチ

21歳(2004年インタビュー時)

日本生まれ。父親の仕事の都合で家族(父・母・姉)とともに生後11か月でドイツに渡る。ドイツの現地校に通いながら、小学校1年生から高校3年生まで補習授業校に通う。インタビュー時は、オランダの大学でビジネス経済を学んでいた。

幼稚園時代 ― 母親が教育熱心で、家での教育をしっかりやってくれた。

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ドイツの幼稚園に通い、ドイツ語はいつの間にか普通に話せるようになっていた。母親は教育熱心なタイプで、子どもの教育はしっかりやってくれた。たとえば、小学校に入る頃にはベッドの横に「あいうえお表」を貼って毎朝読まされたり、ちゃんと手を握って一緒に書く練習をしてくれたり。そうやって熱心にしてくれたのは、今でも感謝している。

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補習校 ― 楽しみではなかったが、特にやめたいと思ったこともなかった。

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小学校1年生から補習校に通い始めた。補習校のクラスメートたちにはそれほど友情は感じていなかった。小学校の頃は年齢のせいもあって女の子とはあまり話さなかったし、男の子も気が合わない子や、年上や国際結婚家庭の子どもなど立場的に違う子ばかりだったので、同年代の日本人がいるわりには、そんなに楽しみにしていなかった。とはいえ、毎週通っていたら補習校に通うことに慣れて生活の一部になっていた。行くことが普通で、別に苦痛には感じなかった。だから、特にやめたいと思ったことはなかった。

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サッカーか補習校か ― サッカーよりも補習校優先と言われて、補習校に行った。

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通っていた補習校は小学校4年生までしかなかったので、5年生からは別の補習校に移った。4年生までは平日に授業があったが、この補習校の授業は土曜日で、所属していた地元のサッカーチームの試合の日と重なってしまった。補習校に行くと試合に出られなくなってしまう。それがものすごく悔しかった。俺はキャプテンもやっていたから、なおさら悔しくて、泣いた。サッカーが無性にやりたかった。親もサッカーが続けられないことは残念だと思って、慰めてくれた。でも、「補習校優先」って言われて、親の雰囲気から揺るぎないなって分かった。だから、「あー、これはもうダメだ」という感じで、おとなしく降参して補習校に行った。

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もちろんサッカーに行けないのは悲しかった。補習校の授業が始まる2時は、ちょうどサッカーの試合が始まる時間だった。2時になると、いつも時計を見て「あー、みんな今ピッチに立ってウォーミングアップしてんのかなあ」と考えていた。

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でも、サッカーはたしかに犠牲にされたけれど、親を長い間恨んでいたわけではない。日本語が大事だっていうのは、自分でも分かっていた。自分はドイツ人ではないということはたしかだった。まず、外見がドイツ人とはぜんぜん違うから、相手のリアクションが違っていた。それに、目上に敬意を払うというような親の日本的教育の影響もあって、ドイツの友達と価値観が違うなというのにも気づいていた。だから、俺も日本語は怠ってはいけないものだとなんとなく感じていた。サッカーができないことは残念だったけど、補習校に行きたくないとは思わなかった。

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5年生からの補習校 ― バイリンガルとして生きること

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5年生から通った補習校では、バイリンガルである自分について考えさせられることが多かった。この補習校は全日制の日本人学校の校舎を借りて授業をしていて、自分達は何かにつけて日本人学校に邪魔者扱いされているように感じた。たとえば、補習校の生徒はごみ箱を使ってはいけないなどの決まりがあって、「私たちが許してやってるから、お前らは教室を使えるんだぞ」と言われているような気がした。また、日本人学校の運動会に補習校の生徒達も1つのチームとして参加していたんだけど、ある年から日本人学校の各チームに振り分けられるようになった。それは、補習校に通う自分達から何かが奪われてしまったような出来事だった。親も補習校のために戦っていた。先生が集められないという理由で補習校が潰されそうになって、親が頑張っているのを見ると、バイリンガルをキープしていく大変さが伝わってきた。こうして、補習校をバイリンガルであることの誇りのように感じる気持ちが強くなっていった。

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バイリンガルとして生きることは、外国人として生きるためのメリットを掴んでおくことだと思う。自分は見た目からドイツ人ではないとすぐに分かってしまう。そのために差別されることもある。実際、道を歩いていてネオナチのような人に脅されたりもした。そこまでいかなくても、ドイツ人が俺と接するときは外国人だと分かった上で接する。俺もドイツ人になりきって溶け込みたいという気持ちになることもあるが、どうせ「フルなドイツ人」になれないのなら、日本語をしっかりと身につけてバイリンガルのメリットを生かせるようにしておかないと不利なだけだ。

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自分がバイリンガルとして生きていくためには、仕事でつかえるぐらいの日本語ができないといけないと思う。でも、それは自分がもっと日本人になるという意味ではない。日本語がレベルアップするのと、日本的になるのは別の問題だ。せっかくドイツで育ってきたんだから、完全に日本人になっちゃったらもったいないし、ドイツで育ってきた要素は絶対に捨てたくない。今の俺は考え方とかはあまり日本的じゃないけど、礼儀とかそういうのは一応日本的に振る舞えると思っている。それは日本人として機能するために必要だ。つまり、ドイツで育ってきた要素を捨てることなく、日本語や振る舞いでは日本人として機能できることが、自分がバイリンガルとして生きていくことだと思う。

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補習校の生徒達はたしかにみんなバイリンガルだった。でも、「日本かぶれ」か「ドイツかぶれ」の人が多かった。補習校ではドイツみたいに年齢は関係ないのに、日本かぶれの人たちは変に先輩後輩とかを気にして、悪い意味で日本くさい。せっかくヨーロッパにいるのに、ヨーロッパの良さを生かしていない。一方、ドイツかぶれの人たちは、日本はすごい保守的で文化的に遅れていると考えていて、価値観から何から完全にドイツ人だ。たしかに日本も悪い面はあるが、ドイツだって悪い面はあるんだから、バランスが取れていないと感じた。どちらかの国に完全に傾いちゃっている人たちとは、なんかぜんぜん気が合わなかった。

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日本人用の塾へ ― 塾で勉強する国語は苦痛だった

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補習校のあったA市には日本の進学塾がいくつかあり、中学生になると俺も通いはじめた。両親は自分を日本の大学に行かせようと考えていたようで、昔からそう言われていた。だから、「ああ、そうか」という程度に思っていた。でも、塾はため息が出るほど苦痛だった。特に、塾で勉強する国語はおかしかった。ドイツの現地校の国語の授業は文学作品などの文章を読んで、それについて意見を書くなど自分の考えを表現することが求められていた。補習校の国語の授業でも、いろいろな日本の作品に触れながら感想文を書いたり、ディスカッションをしたりしていた。でも、塾では、「次の5つのうち、正しいのはどれですか」という問題に答えるためのトリックを教えられて、それのどこが国語の勉強なのか分からなかった。そんなもん、ただの推理じゃんって思っていた。ぜんぜん創造性とか使わないし、自律的に考えないし。そんなことをやっていい大学に入っても将来いい仕事できねえよって、すごいむかついて…。あれは本当やりたくなかった。だから、塾で試験があっても勉強なんかまったくしなかった。先生には「あなた授業のときはできてるのに、テストの点数悪いのちょっとわからないんだけど」と言われていたが、「ああ、そうですか」と聞き流していた。

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でも、自分でもすごいと思うけど、結局塾には5年ぐらい通い続けた。親が、塾に行かないと日本の大学を受験しにくくなると言って続けさせたから。それに、俺もどこの大学に入りたいかまだ決めていなかったから、日本の大学という選択肢を捨てたくないという気持ちもあった。

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オランダの大学に進学 ― オランダの大学で経済を学ぶことにした経緯

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イツの学校では、11年生のときに何週間かインターンをする制度がある。俺はA市にある日本企業でインターンをした。大手の商社だったから、期待していた。でも、そこの日本人社員には正直がっかりした。彼らは、「ああ、仕事めんどくさいなあ」と話していたりして、仕事に対する意識や誇りが感じられなかった。なんとなくどこかの企業に入って、なんとなく仕事をしているみたいに見えた。ドイツ人の社員からは、日本企業の人事は実力じゃなくて上司に媚びる人を評価すると聞いた。現地採用の日本人社員からも「やっぱり日本企業はやめたほうがいい。入るとしたら、上司にあまり気を使う必要がない現地採用だ」と言われた。そういう話を聞いて、将来は「自分にできる何か」が必要だと思った。どこに行っても、「私はこれができます。だから採用してください」と言えるようにならないと、企業や上司に依存しないといけなくなるからだ。

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でも、日本の大学に行っても、「自分にできる何か」が本当に得られるのか不安だった。その頃、日本の大学生の学力低下が新聞とかで話題になっていた。それに、姉が通う東京の大学の授業にもぐり込ませてもらったとき、授業は面白かったのに学生たちはみんな寝ていた。しかも、聞こうとしているのに眠くて仕方なく寝てしまうんじゃなくて、最初から寝る準備をして寝ていた。それを見て、そういう環境に入りたくないなあと思った。だから、日本の大学には行かないことにした。

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大学で勉強するなら、経済を勉強したいと考えていた。小さい頃から歴史が好きで、補習校の図書館でもよく歴史漫画を読んでいた。歴史を勉強していると、政治経済の影響が強いと感じた。高校生ぐらいに成長すると、ニュースや新聞もよく理解できるようになって、経済のほうが政治よりも優っているんじゃないかと思った。それに、政治は自分でも勉強しやすそうだけど、経済はちょっと難しいということもあって、大学では経済を専攻したいと思った。

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経済を勉強できる大学について調べているときに、今通っているオランダの大学を知った。カリキュラムや勉強内容がとても気に入ったから、そこに行きたいと思った。両親にもパンフレットを見せながら説明して、やっと納得してもらえた。オランダの大学にしたのは、もう一つ理由があった。それは、生後11か月からずっとドイツに住んできて、自分がどれぐらいドイツに染まっているのかを知りたかったからだ。完全にドイツ人になってしまうのは嫌だった。だから、一度ドイツから出ることにした。

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大学生になって ― とても満足している

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今の大学生活にはとても満足している。日本の大学に行かせたかった親の気持ちを押しのけて入ったから、頑張んなきゃ悪いという気持ちもあるし、自分は正しかったんだと証明したいから、勉強に気合が入る。将来は、ドイツ語と日本語と英語を使って仕事がしたい。大学の勉強が忙しくて、今は日本語をわざわざ勉強することはない。それに、普段は日本語を使わないから漢字を書くのはやばくなっている。でも、仕事ではパソコンを使うから字が正しいか間違っているか分かればいいし、仕事の中で使うことでレベルアップできると思う。だから、今は大学の勉強に全力投球している。

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